
時代劇やアニメで「某(それがし)」とか「わらわ」とか、ちょっと変わった自分の呼び方を聞くことってありますよね。
「昔の人って本当にこんな風に呼んでいたのかな?」って気になったことはありませんか?
実は、昔の日本人が自分を指す言葉は、私たちが思っている以上にバリエーション豊かだったんですね。
現代では「私」「僕」「俺」くらいしか使いませんが、江戸時代以前にはなんと50種類以上もの一人称が存在していたとされています。
この記事では、昔の人がどんな風に自分のことを呼んでいたのか、時代や身分、性別によってどう変わっていったのかを、分かりやすくご紹介していきますね。
きっと、日本語の奥深さに驚かれるかもしれませんよ。
昔の人の自分の呼び方は時代と立場で使い分けられていた
結論から言うと、昔の人は自分の呼び方を時代・身分・性別・相手との関係によって細かく使い分けていたんですね。
現代の私たちが「私」でほぼ統一しているのとは大きく違っていました。
例えば、天皇陛下は「朕(ちん)」、貴族は「麿(まろ)」、武家の女性は「わらわ」、僧侶は「愚僧(ぐそう)」といった具合です。
これは、当時の日本が個人よりも共同体(家・村・藩)を重視する社会だったことと深く関係しているんですね。
自分がどの立場で相手と話しているかによって、その場にふさわしい一人称を選ぶ必要があったわけです。
なぜ昔の人はこんなに多様な一人称を使っていたのか
共同体社会では立場が重視されていた
昔の日本では、「私という個人」よりも「家の一員」「村の一員」「藩の一員」という立場が重要だったんですね。
ですから、相手との上下関係や場面に応じて、自分をどう表現するかが変わってきたんです。
目上の人と話すとき、同輩と話すとき、目下の人と話すときで、それぞれ違う一人称を使うのが当たり前だったわけですね。
これって、今の私たちが敬語を使い分けるのと似ているかもしれません。
身分制度が言葉遣いに反映されていた
江戸時代までは身分制度がはっきりしていましたよね。
武士・農民・商人・職人といった身分によって、使える一人称も決まっていたんです。
例えば、「朕」は天皇だけが使える特別な一人称で、他の人が使うことは許されませんでした。
こうした言葉遣いによって、社会の秩序が保たれていたとも言えますね。
時代とともに言葉は変化していった
面白いことに、一人称の意味や使い方は時代とともに変わっていったんですね。
例えば「おれ」という言葉は、もともとは相手を指す二人称(あなた)だったんです。
それが平安時代から鎌倉時代にかけて、徐々に自分を指す一人称として使われるようになったとされています。
言葉って生き物みたいに変化していくんですね。
時代別・立場別の具体的な一人称の例
奈良・平安時代の基本的な一人称
奈良時代や平安時代では、「わ」「あ」「吾(われ)」が基本的な一人称として使われていました。
これらは比較的シンプルで、性別や身分をあまり問わない言葉だったんですね。
貴族の男性は「麿(まろ)」を使うことが多く、これは現代でも時代劇などでよく耳にしますよね。
平安時代の女性は「わらわ」や「あ」を使うことが一般的だったとされています。
鎌倉・室町時代から変化が始まる
武家社会になると、言葉遣いにも変化が見られるようになりました。
「おれ」が二人称から一人称へと変化し始めたのもこの頃です。
武士たちは「某(それがし)」という一人称をよく使っていました。
「某」は謙遜の意味も込められた、きちんとした印象の一人称だったんですね。
また、「拙者(せっしゃ)」も武士の間で使われるようになりました。
江戸時代の多彩な一人称の世界
江戸時代になると、一人称のバリエーションがさらに豊かになったんですね。
職人たちの間では「あっし」「わっち」といった独特の言い方が生まれました。
女性では「あちき」(遊女などが使用)、「わらわ」(武家の女性)、「わっち」(町人の女性)など、立場によって使い分けがされていたんです。
男性も「わがはい(吾輩)」「小生(しょうせい)」「手前(てまえ)」など、状況に応じて使い分けていました。
この時代が、一人称の多様性が最も花開いた時期だったかもしれませんね。
特別な身分・職業専用の一人称
ある特定の身分や職業の人だけが使える一人称もあったんですよ。
- 朕(ちん):天皇が使う最も格式高い一人称
- 愚僧(ぐそう):僧侶が自分を謙遜して呼ぶ言葉
- 小職(しょうしょく):公務員が公的な場で使う一人称
- 麿(まろ):貴族の男性が使う優雅な一人称
- 拙僧(せっそう):僧侶が使う謙譲の一人称
こうした専用の一人称があることで、話している人の立場がすぐに分かるという便利さもあったわけですね。
性別による一人称の使い分け
男性と女性でも使える一人称が違っていました。
男性が使っていた一人称には、「僕(やつがれ)」「俺」「わし」「某」「吾輩」「拙者」などがあります。
一方、女性が使っていた一人称は、「あちき」「わっち」「わらわ(妾)」「あたくし」などでした。
ただし「某」や「吾輩」のように、男女共通で使えるものもあったんですね。
女性の一人称は男性に比べると種類が少なかったとされていますが、これは当時の女性が主に家庭内で生活していたことと関係があるかもしれませんね。
現代に残る昔の一人称の名残
明治時代以降、西洋化の影響で一人称は大きく簡略化されました。
でも、今でも一部の一人称は私たちの生活に残っているんですよ。
「わし」は年配の男性が使うことがありますし、「自分」は軍隊や体育会系の組織で今も使われていますよね。
また、小説やアニメ、時代劇などでは、キャラクターの個性を表現するために「拙者」「某」「麿」といった古い一人称が使われることがあります。
こうして考えると、昔の一人称は完全に消えたわけではないんですね。
まとめ:一人称から見える日本の歴史と文化
昔の人の自分の呼び方を見てきましたが、いかがでしたか?
現代では「私」でほとんど統一されているのに対し、昔は50種類以上もの一人称が存在し、時代・身分・性別・相手との関係によって使い分けられていたんですね。
奈良・平安時代の「わ」「あ」「吾」から始まり、鎌倉時代には「おれ」が二人称から一人称へと変化し、江戸時代には「あっし」「わっち」「某」など多彩な表現が生まれました。
天皇の「朕」、貴族の「麿」、武士の「某」、僧侶の「愚僧」など、立場によって専用の一人称があったことも興味深いですよね。
これは個人よりも共同体や身分を重視する当時の社会構造が、言葉遣いにも反映されていた証拠なんです。
明治以降に簡略化されましたが、「わし」「自分」など今も一部が残っていて、私たちの言葉の中に歴史が息づいているんですね。
時代劇や歴史小説を読むとき、登場人物の一人称に注目してみると、その人の立場や性格がより深く理解できるかもしれませんね。
言葉って、その時代の文化や社会を映す鏡のようなものなんだなって、改めて感じませんか?
次に時代劇を見るときは、ぜひ登場人物たちがどんな一人称を使っているか、耳を傾けてみてくださいね。
きっと、今までとは違った楽しみ方ができるはずですよ。