
新選組の局長として幕末の京都で活躍した近藤勇さん。その最期の地となった板橋には、今も多くの歴史ファンが訪れる墓所があるんだ。
でも「近藤勇の墓って板橋にあるって聞いたけど、本当に遺体が埋葬されているの?」「どうして板橋に墓があるんだろう?」って疑問に思う人も多いよね。
実は板橋にあるのは、厳密には「墓」というより「供養塔」なんだ。
この記事では、板橋駅東口にある近藤勇の墓所について、その場所や由来、建立の経緯、そして刻まれた新選組隊士たちの名前まで、詳しく解説していくよ。歴史散策を考えている人も、新選組ファンの人も、ぜひ最後まで読んでみてほしい!
近藤勇の墓は板橋駅東口から徒歩1分の場所にある
近藤勇の墓は、東京都北区滝野川7-8-10、JR埼京線・板橋駅東口から徒歩約1分の場所に建っているんだ。
正式名称は「近藤勇と新選組隊士の墓(供養塔)」で、北区の有形文化財にも指定されているよ。
ちょっと驚くかもしれないけど、この墓所は住宅街の中にひっそりと佇んでいる。板橋駅から本当にすぐの場所だから、アクセスは抜群なんだよね。
駅前の通りを少し歩くと、石碑と説明板が見えてくるはずだ。供養塔は明治9年(1876年)に建立されたもので、近藤勇だけでなく、土方歳三や新選組隊士など、100名を超える人物の名前が刻まれているんだ。
なぜ近藤勇の墓は板橋にあるのか
板橋は近藤勇が処刑された場所だから
板橋に近藤勇の墓所がある最大の理由は、ここが近藤勇が処刑された場所の近くだからなんだ。
慶応4年(1868年)、戊辰戦争のさなかに流山で新政府軍に捕らえられた近藤勇さん。その後、板橋宿に置かれた新政府軍の本陣へ送られ、板橋刑場付近で斬首されたんだよ。
処刑日は慶応4年4月25日、西暦では1868年5月17日とされていて、享年35歳だった。
新選組局長として京都の治安維持に尽力した近藤勇さんだけど、時代の流れには逆らえなかったんだね。やっぱり幕末という激動の時代を生きた人物の最期は、どこか切なさを感じるよ。
永倉新八が発起人となって供養塔を建立した
板橋の墓所には、もう一つ重要な意味があるんだ。
この供養塔は、単なる後世の観光記念碑ではなく、近藤勇の仲間だった永倉新八さんが中心となって建立したものなんだよ。
永倉新八さんは新選組の二番隊組長として活躍した人物で、明治維新後も生き延びて、近藤勇や新選組の仲間たちを弔い続けた人なんだ。
明治9年(1876年)、永倉さんは旧幕府医師の松本良順らの協力を得て、この供養塔を建立した。かつての仲間への思いが込められた、まさに「志」の結晶とも言える場所なんだよね。
遺骨が埋葬されているかは諸説ある
ここでちょっと注意したいのが、板橋の墓所は「供養塔」という位置づけだということ。
実は近藤勇さんの遺骨が本当にここに埋葬されているのかについては、諸説あって確定的なことは分かっていないんだ。
伝承では、近藤勇さんの首は京都へ送られ、胴体は処刑地近くに葬られたとされているよ。でも、埋葬場所や遺骨の確実な同定には不確定な部分が多いんだ。
つまり板橋の墓所は「近藤勇が処刑された地に近い場所に建てられた供養塔」として理解するのが正確だね。
ちなみに近藤勇さんには、出身地・菩提寺にあたる東京都三鷹市の龍源寺など、複数の墓所や供養地があるんだよ。
板橋の近藤勇墓所の見どころ
正面には近藤勇と土方歳三の名が刻まれている
板橋の供養塔で最初に目を引くのが、正面に刻まれた近藤勇と土方歳三の名前だ。
新選組局長と副長、この二人の名前が並んで刻まれている光景は、やっぱりグッとくるものがあるよね。
土方歳三さんは近藤勇さんの処刑後も戦い続け、最終的には函館戦争で戦死した。二人とも新選組を象徴する人物として、今も多くの人々に愛されているんだ。
側面には100名を超える新選組隊士の名が
供養塔の側面には、新選組隊士など100名を超える人物の名前が刻まれているんだよ。
これは単に近藤勇さん個人を弔うだけでなく、新選組という組織全体、そして幕末という時代を生きた人々への供養の意味も込められているんだろうね。
永倉新八さんの思いが、この名前の数からも伝わってくるよ。
毎年4月25日には供養祭が行われる
近藤勇さんの命日である4月25日、またはその直前の日曜日には、寿徳寺などの関係者によって墓前供養祭が行われているんだ。
歴史ファンや新選組ファンが集まって、近藤勇さんと新選組隊士たちを偲ぶ。こうした催しが今も続けられているって、なんだか感慨深いよね。
もし興味があれば、この時期に訪れてみるのもおすすめだよ!
板橋周辺の新選組ゆかりの地も一緒に巡ろう
板橋宿本陣跡
板橋駅周辺には、近藤勇の墓所以外にも新選組ゆかりの地がいくつか残っているんだ。
その一つが板橋宿本陣跡。近藤勇さんが捕らえられて送られた新政府軍の本陣があった場所だよ。
現在は跡地に説明板が立っているので、近藤勇さんが最期を迎える前の数週間を想像しながら歩くと、より深く歴史を感じられるよね。
板橋刑場跡周辺
近藤勇さんが処刑された板橋刑場の跡地周辺も、歴史散策のポイントだ。
近年は「新選組ゆかりの地巡り」として、板橋宿に残る幕末史跡を歩く散策コースが注目されているんだよ。
板橋駅前の墓所と合わせて、処刑地周辺や板橋宿本陣跡などを組み合わせて歩けば、近藤勇さんの最期の数週間をより立体的にたどることができるんだ。
寿徳寺
板橋には寿徳寺というお寺もあって、ここも新選組ゆかりの地として知られているよ。
供養祭を主催する関係者の一つでもあるから、興味がある人は訪れてみるといいね。
板橋の近藤勇墓所を訪れる際の注意点
住宅街の中にある史跡なので静かに参拝しよう
板橋の近藤勇墓所は、住宅街の中にある史跡なんだ。
だから現地では静かに参拝し、周辺の通行を妨げないように配慮することが大切だよ。
写真撮影も可能だけど、大声で話したり、周辺住民の迷惑になるような行動は控えようね。
アクセスは抜群だけど駐車場はない
JR埼京線の板橋駅東口から徒歩約1分という立地の良さが魅力なんだけど、専用の駐車場はないよ。
車で行く場合は、近隣のコインパーキングを利用することになるね。やっぱり公共交通機関でのアクセスがおすすめだよ。
見学は無料で年中可能
板橋の近藤勇墓所は、年中無休で見学が可能だ。
しかも入場料などは一切かからないから、気軽に立ち寄れるのが嬉しいよね。
ただし、やっぱり史跡としての敬意を持って訪れることを忘れずに!
まとめ:板橋の近藤勇墓所は最期の地に建つ供養塔
ここまで読んでくれてありがとう!
板橋にある近藤勇の墓所についてまとめると、板橋駅東口から徒歩約1分の場所に建つ供養塔で、近藤勇が処刑された地の近くに、永倉新八さんらが建立したものなんだ。
正面には近藤勇と土方歳三の名が刻まれ、側面には100名を超える新選組隊士の名前が刻まれている。遺骨が本当に埋葬されているかは諸説あるけど、ここは近藤勇さんの最期の地に近い場所として、今も多くの人々が訪れる場所なんだよ。
毎年4月25日前後には供養祭も行われているし、板橋宿周辺には他にも新選組ゆかりの地が点在している。
アクセスも抜群だから、歴史散策や新選組の聖地巡礼にはぴったりの場所だね。
新選組ファンなら一度は訪れたい、近藤勇さんの墓所。板橋という地で眠る新選組局長に、思いを馳せてみてはどうだろう?
きっと幕末の激動の時代を生きた彼らの「志」を、少しでも感じられるはずだよ。